2011年 08月 03日
paysage après la catastrophe_2
8月2日(火)
気仙沼で宿泊所を確保できなかったので、大島に渡る。浦の浜港は地盤沈下で半分水没していた。
泊まれたのは、島で一番古い旅館・明海荘。震災後はしばらく避難所になっていた。
やさしそうなご主人は、損害は一億を軽く超え、復旧のめどは立たないという。
明海荘からまっすぐ小田の浜に降りる。
米軍が「トモダチ作戦」で接岸したところだ。
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津波の流れた方向がそのまま保存されている。

田中浜では、がれきの仕分けが行われていた。
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島の北側にある亀山(標高235m)から気仙沼市街が望めるというので、草で覆われた山道をのぼる。
山頂には展望台があったが、小雨のため、気仙沼はよく見えなかった。
だが、さきほど通り過ぎた田中浜のがれき処理場はよく見えた。
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亀山は観光リフトが有名だが、震災まもなく出火したようで、無残な光景だった。
誰も来ないことを確認して、リフトに沿って直降することにする。
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赤 青 黄の
壊れたリフトが
燃え盛る監視所のあいだを下降する

僕は揺れる鉄サビのネットの上を
蜘蛛のように下降する

浜にたどりつく前に
リフトは次々とロープから外れ落ち
蝶のように宙を舞う

それらが大地に落ちるまでのあいだ
三原色の夢だけが
亀山の傾斜面をのぼっていく

かつて光太郎は
この島に住みたいと言ったのか

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降りきったところに、津波をもろに被ったとおぼしき農家があった。
屋根に流木やゴミが重なり、家のうしろの石垣には、自動車が逆立ちしたままだ。
おじいさんがひとりで壊れた小屋を片づけていたので、手伝う。
おそらくは避難所から戻ってきたのだろう。
だが、方言がきつくて、何を言っているのかほとんどわからない。
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おじいさんの家の塀のうえで。

その後気仙沼に戻って、再び廃墟の中を歩き回る。

御守り工房の材料として、がれきを拾いながら、大地を覆いつくすがれきのすさまじい量を考える。
それらがかたづかない限り、復興はおぼつかない。
がれきを片づけるにはどうしたらいいか。
すでにがれき処理法案が通ったので、ゼネコンが復興事業という"建前"を押し出して、利権目当てに動き出している。一方で、一番多い木材系のがれきをチップにして、燃料に再利用する動きもある。
そんななかで、僕は夢想する。
がれきが、交換価値のある貨幣のようなものになれば、世界中から人々ががれきを取りに来て、がれき減少と観光収入の増加が同時に望めるのではないか。
だが、がれきを貨幣に変えるにはどうしたらいいのか。
ベルリンの壁の断片は、歴史的なマイクロ・モニュメントとして、世界中の人々の貴重なコレクション・アイテムになった。
美術をやっている目から見ると、がれきの様相は十分展示価値があるように思える。色やかたち、素材のアナーキーなコンビネーションの無限の宝庫だ。ガラスケースに入れて世界中にばらまけば、それらは鑑賞の対象になりうるし、「価値」の哲学のための無限のリソースともなる。
だが、そういうのは一般には通用しないだろう。

ほんとうに、がれきを貨幣に変えるにはどうしたらいいのか・・・
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by peuleu3 | 2011-08-03 22:45 | on the earth


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