2015年 04月 01日
deux canal de Kyoto, au printemps
4月1日(水)
春になった。
上下水道局の伊佐治さんから、ぼくがデザインした疏水インクライン案内板設置の知らせが届いた。
昨日、設置が完了したらしい。観光客でにぎわうインクラインの情景が送られてきた。
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琵琶湖疏水クルーズの試験運航に招聘してくださるそうで、公共のデザインの仕事って、やはり面白い。

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設置を気にしながら、立ち合えなかったのは、高瀬川で実験していたことによる。
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河原町通塩小路少し北東、2002年、高瀬川はここで付け替えられた。
八条坊門の立体交差工事で、河原町通をJRの南側まで4車線開通させるために、西に蛇行する高瀬川をここで曲げなければならなかったのだ。
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高瀬川も琵琶湖疏水と同じ運河で、1614年、角倉了以によって鴨川の西側に開削された。
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ブロックで小さな突堤をつくる。
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高瀬川の水を汲む。桜の花びらが流れてくる。うららかな春の水辺。
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溝になって残された旧流路に高瀬川の水を流す。
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復活した旧高瀬川。
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新高瀬川にかかる船鉾橋。なぜか欄干がずっとフェンスで覆われている。
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「支えるもの」のある風景。
高瀬川が付け替えられ、河原町通が全面開通したことで、崇仁地区が大きく変わり、芸大移転の計画につながった経緯を最近知った。
新高瀬川沿いの風景のこの仮設感には、この地の不安定感が凝縮されている。

4月4日のフィールドワークでこうしたことに触れられたらいいのだが、雨らしい。

ちなみに高瀬川の船運が廃止されたのは1920年だが、衰退を決定的にしたのは、1894年の琵琶湖疏水の開削による新たな物流ルートの誕生による。
京都の発展をうながした二つの運河、しかも今は主な役目を終えた運河に関わることになったのは、偶々とはいえ、なんとも不思議だ。
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by peuleu3 | 2015-04-01 13:45 | design


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