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2015年 11月 28日
Minorités de Taiwan et Japon
11月27日(金)・28日(土)
第1回日台国際シンポジウム「京都市立芸術大学移転を機に "マイノリティ・まちづくり・民主と人権" を考える」に参加する。(First Japan-Taiwan International Symposium "Thinking about Minority, Democratic Town Planning and Human Rights")(
11/27, 18:00-19:15 東本願寺 枳殻邸(渉成園) Shosei-en-Garden, Higashi-Honganji Temple
11/28, 9:45-17:50 故郷の家・京都 雲史ホール Kokoro-no-ie, Kyoto
僕はチラシやパンフレットの表紙デザインをすれば済むと思っていたら、発表もしないといけなくなって、展覧会準備と重なり、半徹夜で発表原稿を用意して臨んだ。
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故郷の家・京都は、地下鉄東九条駅から徒歩12分ほど、鴨川の堤防沿いにある。
在日韓国人のための施設で、いい建材をふんだんに使った立派な施設。
理事長の尹基さんが「東アジアの国境を越えた交流の場になることが願いなので、今回の催しがとてもうれしい」と挨拶。
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台湾側の参加者は、アミ族やカナカナブ族など6つの原住民代表と、原住民問題に取り組む大学教授、政治学者ら。
発表はいずれも熱意にあふれ、知的レベルも高い。
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たとえば、国立公園建設と自然保護の法規制は、伝統的な狩猟文化を圧殺する。
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民族衣裳をきた巨漢の戴明雄さんは、Lalauranの原住民コミュニティの再生に取り組む。なんと牧師でもある。
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民家再生による部落の空間の蘇生。
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シンポジウムは2回に分かれ、前半が日台マイノリティが直面する政治や経済問題。後半が、「原住民のアイデンティティの再生に関わる文化・芸術の可能性」。
それぞれのあとに、発表者とコメンテイターによるディスカッションが入る。
京都景観フォーラムの中村伸之さんと、台湾東海大學副教授日本研究中心主任の陳永峰教授のみごとな采配。
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僕が発表で使った図式。
関東大震災の難民の孫として、土地私有にもとづく文明社会への深い違和感を述べた。

途中で門川京都市長も挨拶に来たが、日本側参加者は少なく、京都芸大の関係者も地元の住民の顔も見えない。
だいたい僕の参加するイベントはいつもさびしい。
根っからのマイナー/マイノリティなのだ。
実際、僕の発表を聞いた陳教授から、「井上さんの天・地・人の発想は、原住民のに近い」と言われる。
やはりそうか、と妙に納得する。
アフリカに行ったとき、「帰ってきた」という感覚があった。
現代日本社会は僕にとって場違いなのだ。
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日本側のプレゼンで唯一楽しかったのは、アイヌ出身で大阪を拠点にアイヌ文化の再生と普及に取り組む藤戸ひろ子さんら「ミナミナの会」によるアイヌの古典舞踊。
台湾側参加者も僕もいっしょに舞台に上がってアイヌ踊りを舞った。
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合同討議のとき、藤戸さんがぼくのとなりに座った。
手の入れ墨に目を奪われる。
僕もこっそりボールペンで手にニワカ入れ墨を描いてみて、あとで藤戸さんに笑われた。
入れ墨には決まったパターンがあると思っていたら、個人で自由に描いてよく、ただ線はまっすぐに、ということだった。
道を表しているそうで、ますます惹かれる。
来年、僕の芸大の授業にお呼びしたい。
そう、京都駅東にいろんな入れ墨と言葉の人間が行き交い、アート活動をする町ができれば最高だと思う。
だがそう思う自分は、京都芸大のなかでも思い切りマイノリティなのだ。



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by peuleu3 | 2015-11-28 23:52 | on the earth
2015年 11月 23日
sous-produits
11月22日(日)
頭のチャンネルを切り替えて取り組まないといけないことが、数件、同時並行している。
分裂生成したい。

絵を描き始めると、作業の端っこでいろんな副産物が生まれる。
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副産物の方が風通しがよかったりする。

社会の<孔>としての美術。

11月23日(月)
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早朝、hyslomの鳩飛ばしイベントを初めて観る(河原町三条VOXビル屋上)。

昨日、KAVCの会場を見に行って、
一階の展示スペースの天井が予想外に低いことをあらためて実感する。
悪条件を逆利用しよう。
一階と地下を一体化したスペースに架空の陸地を挿入すること。

「惑星に墜落したマレーヴィチが、しんかいち=ユートピアをつくろうとして失敗する。」



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by peuleu3 | 2015-11-23 22:59 | art
2015年 11月 18日
St.Denis et "Anonymous vs IS"
11月18日(水)
パリの北にあるSt.Denis地区で、警察隊とテロ容疑者の銃撃戦があり、容疑者二人が死亡、警察側にも負傷者が出たという。
サン・ドニにはパリ第8大学 Paris 8 があり、僕の受入れ先だったので、パリに住んでいたときはよく行った。(Par le métro:
Ligne 13, Châtillon Montrouge - St-Denis Université, arrêt St-Denis Université)
実際に暮らしていた rue St.Denisは、事件現場からそう遠くない。

ハッカー集団《アノニマス》がISに宣戦布告したらしい。
これからおまえたちに最大規模のサイバー攻撃をしかける、心せよ、と。
ISは、インターネットに広報や連絡など通信戦略を依存しているから、多少なりとも効果があればと思う。()
しかし、あまり楽観はできまい。
Message des Anonymous suites aux attentats de Paris le 13 novembre 2015

10/31のシナイ半島でのロシア機墜落も、TNT火薬1キロ相当の手製の爆発物を使ったテロとかで、プーチンが復讐を誓った。(
ISは手づくり爆弾の動画をネット上にアップして、犯行を誇る。

21世紀、地球上がわけのわからない戦国時代になるのだろうか。
覇権を求めて目の血走ったニンゲンどもの足下に、無数の生きもののいのちが横たわる。




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by peuleu3 | 2015-11-18 19:11 | on the earth
2015年 11月 15日
conditions de la promenade
2015年11月15日 
散歩の条件。
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鈴木京子さんから、32年続いたギャラリーすずきの幕引きを、われわれ4人が頼まれた。

今村カラーのオレンジと、5月の上町台地の散歩経路、三嶽さんに案内してもらった坂本の穴太衆の石段をあしらって、DMをデザインした。
あいだに京子さんの挨拶文を挟み込む。
「展覧会」や「作品」の考え方を、どうほぐすことができるか、楽しい実験になれば、と思う。



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by peuleu3 | 2015-11-15 11:35 | art
2015年 11月 15日
matérialisme aléatoire
2015年11月14日(土) 雨。
パリでISによる同時テロ。130人近くが死亡

午後4時から崇仁小学校で、三嶽伊紗さん、今村源さん、日下部一司さんと12月初めにギャラリーすずきでやる展覧会「散歩の条件」の準備と検討会。

2012年に同じギャラリーで「偶々〜2と5〜」というテーマで個展をした。
そのとき、言葉ではなく、直感的に考えていたことがある。
昨日、偶々取り寄せたルイ・アルチュセールの晩年の著書『哲学について』のなかで、まさにそのことに出会った。
「哲学とマルクス主義」のなかで、"matérialisme aléatoire(偶然の唯物論)"という名を与えられていたその哲学は、デモクリトスやエピクロスの自然哲学に由来する。アルチュセールはこう述べている。

「世界の形成以前には、無数の数のアトムが平行して空虚のなかを落下しています。この主張の含蓄は豊かなものです。(1)世界が存在する前には、形式を与えられたものはまったく存在しない。そして同時に(2)世界のあらゆる要素は、世界が存在する以前には、永遠に孤立してすでに実在していた。…つまり、世界が形成される前には、どんな意味も実在しなかったし、原因も目的も理性も非理性も存在しなかったのです。それは、理性的、道徳的、政治的、美学的な、あらゆる目的論を否定するのです。さらに付け加えれば、この唯物論は、主体(神であれプロレタリアートであれ)の唯物論ではなくて、目的(終わり)をもたない発展を導く主体なき過程の唯物論なのです。」
「このあとで、クリナメンclinamenが出現します。クリナメン(偏倚)とは、どこでもいつでもどうにでも生じる無限に小さい偏向です。重要なことは、クリナメンが真空落下の中で原子の逸脱を引き起こし、隣の原子との出会いを引き起こすことです。そして出会いが束の間のものではなく持続するその都度に、またいたるところで、出会いが出会いを重ねることから世界が生まれるのです。」
「エピクロスが言っていることは、理性とか第一原因とかではなく、偶然の偏向こそが世界の起源になるということです。けれどもここが肝心なところですが、出会いは世界の現実性を創造するのではなくて、原子自体に現実性を与えるのです。原子は、偏向や出会いがなければ、確実さも実在性もない抽象的な元素でしかないからです。」(今村仁司訳)

「われわれがそこへと投げ出されている世界と世界の意味の一種の超越論的偶然性」、その先には探求すべきものは何もない。
「偶々」のドローイングを制作していたとき、覚悟していたのはこういうことだった。

"aléatoire"は、英語では"random"と訳される。「偶然の」と言うだけはもの足りない含意がある。
Larousseには、"Soumis au hasard, dont le résultat est incertain."とあるので、別の訳者・山崎カヲルが使う「不確定な」という語も適応可能だろう。
面白いことに、Larousseには美術と音楽における偶然性の活用についての説明もある。
音楽の場合はまさにケージの音楽があてはまる。
"Se dit d'une œuvre plastique (notamment cinétique) dont la configuration procède d'une combinatoire exploitant les possibilités du hasard, avec ou sans programmation par ordinateur."
"Se dit d'une musique dans laquelle l'auteur introduit des éléments de hasard ou d'improvisation soit au niveau de la composition, soit au niveau de l'exécution."

この唯物論は、必然性と合理性の唯物論を「偽装した観念論」として退ける。
それは、事物に関する真理を述べると主張するあらゆる哲学に対立し、「哲学的問題」から出発せず、自分に目的を与えることも拒絶する「真空の哲学」、哲学史によって公認されていない唯物論の伝統、つまりは「非哲学」だ。
"Die Welt ist alles was das Fall ist.(世界とは落ちてくるもののすべてである)"——ヴィトゲンシュタイン
「世界には、予告なしに上からわれわれに降ってくる事例、状況、物しか実在しない。」
世界はおしなべて特異な個別的存在だけでできている。それらの根源的多様性を束ねて名づけるのは、この真空への恐怖心からだ。

これが西田幾多郎のいう「無の場所」に通じるのかどうか、あるいはドゥルーズの哲学に引き継がれているのかどうか()、そういう詮索は「哲学者」連中にまかせて、残りの人生、自分はあらためてその肉体化に取り組まねばならないと思う。

それにしても、いろんな余儀ない行いと出会いが偶々重なって、自分の暗闇を照らしてくれる光に出会うとは。
じつにこの世に生きるとは、"aléatoire"なことだと思う。



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by peuleu3 | 2015-11-15 00:00 | note
2015年 11月 03日
la lumière et la vie
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Gゼミ(造形計画2)の授業で、今週の金曜日に小埜君に特別公開レクチャーしてもらうことになった。
どなたでも来聴歓迎。楽しみだ。

Gゼミ:
人間のあらゆる行為に先行して存在し、世界の経験を条件づけているものを"G"とする。"G"の基層次元にあるのは、重力、光、時間である。Gゼミは、そうしたGに関わる「術」として芸術の再定義を試みる。今期のテーマは「光」。
視覚芸術の根幹にあるのは、見ることの条件である「光」との対話だろう。光は、そもそも生命とどのように関係しているのか?

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芸術教育は、自己顕示欲いっぱいの自称アーティストを生産するより、小埜くんのような創造的な研究者の成長に貢献すべきだ。
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by peuleu3 | 2015-11-03 13:41 | note